我が家の愛犬コアラが骨肉腫になり、断脚して7か月が経ちました。抗がん剤治療をしたり、抗がん剤治療を止めたり、食事に工夫をしてみたり、試行錯誤するうちに・・・。
前回と同じく、また食欲がなくなってしまいました。ある時突然、好きだったドッグフードを嫌がり始め、またそこから急に食べなくなってしまいました。咳も少しずつひどくなっていきました。
前回の記事
今回もまた食欲が出ないと良くないと思ったのに、うっかり咳止めの薬を切らしてしまったその2日間にずいぶん状態は悪化してしまいました。慌てて飲ませたものの、状態はあまり良くならず・・・。それに、とても長い時間眠るようになってしまいました。普通にうつ伏せると苦しいのか、顔を傾けたままたまらずに寝入ってしまうので、首がカクン、カクンとなっていまうことがたびたび・・・。
状態が良くならないので、病院でもらっていた点滴を自分たちで行ったりしましたが、それでも良くならず・・・。苦しそうな咳へと変わって、痰もひどく詰まっているような感じになってしまいました。
いつもの日暮里動物病院にも行きましたが、少し咳止めの薬を量を増やす許可をもらうことしかできませんでした。けれど、幸い咳は少し治まりました。
食事を摂らないので、排泄も少なくなってしまいました。動きも弱り、ふとしんどそうにも動くときにはどうもおしっこをしたいのではないか?と疑い、庭へ抱っこして連れて行ってやると少しおしっこをする、ということを繰り返していました。私は心配で、夜もコアラの傍に布団を敷いて眠り、日中は水分を注射器で与え、排泄しそうになると庭へ抱っこして連れて行き、を繰り返しました。
何度もかつお粉などを与えたり、かつおだしの煮汁を与えたりしようとしましたが、コアラは一切口にしませんでした。そのうち時々前足を立てるけれど、だいたい臥せっているようになりました。
忘れもしない12月中旬のその日、朝からコアラの口には少し泡が出ていました。それ以外には何も変わらず、いつものように苦しいけれど私のことをじっと見つめるコアラがいました。たまたま私以外の家族二人が家に居て、一人を置いて私ともう一人が車で家を出た直後に、家に居る家族から電話が・・・「お母さん!!コアラが!コアラが!・・」
それはほとんど叫び声でした。パニックに陥ったように叫び、コアラが息をしていないことを伝えてきました。さっきまで、普通にいたコアラが今は息をしていないなんて信じられないと、すぐさま帰宅しましたが・・・やはりコアラは動かなくなっていました。
この経過を書くまでにずいぶん時間が経ってしまいました。今でもまだ思い出すと涙が出て止まりません。死んでしまう、ということは、もう絶対に二度と会えない、ということなのだと改めて知った気がします。
コアラが死んだ後で、もっとできることがあったのでは、という思いには何度も襲われました。後悔することもたくさんありました。本当はあのとき、コアラが苦しかったのでは?あのときは、辛かっただろうに、などと思い自分のやれることは他にあったのではないだろうかと落ち込んでしまいます。
感謝の気持ち
そのことがあってから、早4か月が過ぎようとしています。コアラのことはしょっちゅう思い出すし、まだ未だに泣いていますが、もう会えないという事実は私の中に大きな壁になってどーんとそびえたっているのです。その壁を避けて、私は前へ進もうとしています。
コアラが私たち家族にくれたたくさんの思い出のことを考えるようにしています。Google Driveに写真と動画をアップロードして家族で共有し、時々見てはやはり泣いてしまいますが、癒されてもいます。コアラ、本当にありがとう。
追伸
コアラの写真を探すと、コアラが私の子供たちの成長とちょうど重なってそばに居続けてくれたことがよく分かります。3人の子育てに追われていた私の代わりに、どれだけたくさんの愛を子供たちにそそいでくれていたことでしょう。本当にありがとう。
コメント